お題
孫六さんが折れる時の話についてですが、無骨との回想で「今更一本折れたところで」と言っているため折れるという現象自体にはさほど忌避感は無いのかなという気もします
数打物出身(?)というか関の刀は本当にめちゃ打ってめちゃ折れたようで…折れていった同志達と同じ道をゆく時の孫六さんは何を思うのか気になりますよね…
孫六さんのステータスが折れず曲がらずのわりに生存も統率も然程高くないのも関係あるのかしらと不思議に思うところではあります
数打物出身(?)というか関の刀は本当にめちゃ打ってめちゃ折れたようで…折れていった同志達と同じ道をゆく時の孫六さんは何を思うのか気になりますよね…
孫六さんのステータスが折れず曲がらずのわりに生存も統率も然程高くないのも関係あるのかしらと不思議に思うところではあります
返信されたポスト
あんどぅ
@undo_desuyo
自分も孫六は、折れる現象自体に忌避感があるというわけではないと思ってます。ただ、孫六は明らかに自分が作られた物語を纏っていることに意識的なので、『折れず曲がらずよく斬れる』刀として顕現されたことにも自覚的だと思うんですよね。折れたことで、折れない刀としての役割を果たせなかったことへの自虐を感じています。あくまで個人的な解釈ですので、話半分に聞いてくだせえ~~
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あんどぅID:undo_desuyo
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